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皆さまが抱えているのは筋肉痛でしょうか? それともストレスや病気からくる症状でしょうか?

どんな状況にも寄り添うマッサージ師でいる事を心がげております。

ごあいさつ

 

大阪出身。1989年に渡米。ニューヨーク市立大学で投資学を専攻。会計事務所や銀行を経て証券業務に従事しました。真面目な人に聞こえるかもしれませんが、サバイバルの為に色んな事をしました・・・😅。

 

金融業界は、生涯収入が安定しているだろうという動機で選びました。証券業務は当時の自分には適職だったと思います。エクサイティングで充実感があり、上司や同僚にも恵まれました。中間管理職になった頃、これまでのサバイバル生活から脱却できたと感じました。そしてこの生活をずっと続けたいと思いました。しかしこの頃から、本当の課題に向き合う時期ではないのか・・・という別の思いが共存するようになりました。これをミッドライフ・クライシスと呼ぶのか分かりませんが、最終的な満足が得られる道は別のところにありそうな漠然とした感覚です。とても不都合な感覚でしたので、無視してますます仕事に励みましたが、ある時自覚をしました。自分は仕事熱心の仮面を被って逃げていると。仕事依存は、アルコール依存やギャンブル依存みたいに分かりやすいものではないですが、これも依存症です。結局ライフスタイルを変えなければこの違和感は解消しないと思い、えいやっと仕事を辞め、15年住んだマンハッタンを去る事にしました。

 

次にフロリダ州マイアミに住みました。競争社会で戦闘モードのスイッチが入ったままになっており、スイッチの切り方が分からなくなった状態でしたので、これを解消すべく色んな事をしてみました。自分の天職は何だろうと考えながら昔を思い出すと、若かった頃は体を動かすのが好きで、スポーツで痛めた体を治療するため、よく鍼灸院や整体院に通いスポーツマッサージを受け、調合してもらった漢方薬を飲んでいました。そして健康に関わる仕事に憧れましたが、自分には無理と結論を出していました。そうこうしているうちに3年が経ち資金も尽きました。

 

そして頭も心も混乱したままマイアミを去り、オハイオ州に来て金融の仕事に戻ってしまいました。間もなくすると体の全細胞がNOと叫んでいる状態になり、もう誤魔化しはきかず、体調不良で仕事ができなくなりました。色んなドクターに行きましたが良くならず、退職して自分で取り組む事にしました。これが新たなフルタイムの仕事になりました。病名は色々ありましたが、結局は自分が理解していない自分の部分を残したまま進んできた結果、心と体がばらばらになって、あらゆる症状として現れたのだと思います。体の臓器の一つ一つを自然療法でクレンジングしながら自分と向き合いました。再び働けるようになるまで4年かかりました。その後、現在の仕事に転職する事になりました。

 

今の仕事は若かった自分には確かに無理でした。そして、これまでの過程は全て必要なトレーニングたったと思います。天よあの時私の尻を叩いてくれてありがとう〜😘と、今なら感謝をもって言えます。もうアドレナリン全開で挑むような働き方はしません。全開するのはハートです。

​お会いできる日を楽しみにしております。

降旗 未智 

ふりはた みち    

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