強いふりがうまい弱い子

私が中学1年生を終えた頃、父の起業の計画が実現ました。両親の出身地である鹿児島に戻って地元の人たちのサポートなどを得ながら会社を始めるという事で、2年生になる春休みに鹿児島の中学校に転校しました。転校手続きは遅れ気味でした。教科書も制服の準備も間に合わず、前の学校の制服で通学し、教科書は隣の生徒のものを見せてもらうところから始まりました。


転校先は、全校生徒が100人ちょっとの小さい学校です。転校生は珍しく、地元の言葉が喋れない子はもっと珍しく、廊下いっぱいの人だかりが窓越しに私を見物ています。母の実家のお婆ちゃんの家で小学校の夏休みを過ごした事があるので、何となく言葉は分かるようになったと思ったのですが、やっぱりあんまり聞き取れない。明日の行事や持ち物を説明する先生の言葉はよくわからず、翌日違うものを持って来て笑われることが多発しました。やさしい先生は、イントネーションはローカルのままでも言葉は標準語っぽく話そうとしてくれましたが、体育の先生は丸ごと方言で動き方の指導をするので、私はいつも違う動きをして大笑いされるのです。そうこうしながら、分かるようになり喋れるようになり動きを合わせていきましたが、本を朗読する時だけは関西弁のイントネーションが抜けない。これを見抜いた体育の先生は、保健の授業の時、必ず私に教科書を読ませます。クラスにしたら、この関西イントネーションがたまらなくおかしいらしく、全員がお腹を抱えて笑うのです。一番笑うのは先生です。この先生は私を使ってクラスの笑いを取るワザを獲得し、ますます人気の先生になっていきました。


この先生はテニス部の顧問でもあり、体罰大好き先生でした。ラケットで女子の太ももをよく殴ります。転校前の学校では、卒業してゆく生徒が恨みのある先生を殴って学校を去ってゆく事が問題になっていましたがが、どちらも極端です。そのうち私も叩かれるようになりました。髪型が皆と違うので風紀違反とか。生徒手帳に書いてあるらしい。呼び出され、叩かれて、規則の存在を知るのです。朝礼の時も修学旅行先でもそれは起こりました。その規則はこの体育の先生が任意に作ったり消えたりすることもありました。そうこうしているうちに、家では父親からも平手が飛んでくるようになりました。大阪では叩かれたことがなかったので最初はショックでした。地元に戻った父は、こうして変わってゆきます。


引っ越し先の家は古い建物で、お風呂は鉄の釜風呂。これを沸かすのが私の仕事。両親とも事業の立ち上げで余裕がありません。釜風呂の火がいい具合になると、次は夕食の支度ですが、雨の日は薪が湿っていて、なかなか風呂焚き場から離れられない。成長期の私は学校から帰るとめちゃくちゃお腹が空いています。風呂焚きと飯炊きを終えて両親と夕食をするまで待つと倒れそうになるので、おやつでお腹いっぱいにしてから家事をします。食卓に座る時は食欲がなくなっているのが常でした。そして風呂が炊けてないとか飯ができてない事に理由をつけるのは、問答無用になりました。父は戦争のために高校へ進学できなかった。空襲警報で防空壕に逃げる日々で、お腹いっぱいご飯を食べることもできなかった。こんな過酷な子供時代を送った父は、その経験をした土地に戻って来て、そこの人たちに社長と呼ばれて事業を始めることにしたのです。父としてはここで一旗あげることに渾身の思いなのです。


辛くなった私は、大阪の幼なじみに電話をしました。当時は長距離電話は高額だったのですが、何も考えないで電話をしてしまった私を、母は請求書を振りかざしてこっぴどく叱ります。私はどんどん寡黙になってゆきます。「八方ふさがり」の意味を最初に体感した時です。その後、八方ふさがり状態を何度も経験してゆきますが、ここでイニシエーションを受けておく事がどれだけ大事だったかは、後になって気づきます。もし私の両親が優しい人達だったら、学校でいじめられている事を話せたら、私は不登校になっていたかもせれません。そのまま引きこもったかもしれません。オプションがない私は開き直るしかありません。絶対学校を休まない。1日でも休んだら次の日、私の靴箱がどうなっているかわからない。教室から私の机が消えているかもしれない。学校に行けなくなったら、家からの逃げ場がなくなる。皆勤してやる!家では両親より大人になってやる!


こうして、熱が出ても学校に行き、怒られても泣かない子になりました。とは言っても元々の泣き虫が治るわけではありません。泣く場所が布団の中になっただけ。声を出さずにできるようになっただけ。この時期に小児性の健康問題を体にこしらえてしまいました。普通は大人になれば自然に治る病気だそうですが、私は大人になっても治る間を与えなかったらしく、そのまま持病にしてしまいました。ストレスが長期になると今もぶり返しますので、自分を見直しなさいと警告みたいなものになっています。


こうやって私は、強く見える、大人に見える立ち振る舞いができるようになるのですが、心の中ではインナーチャイルドが暴れまわる厄介な人になってゆきます。もっと言うと、後ろ向きに考えるのが得意な素養があったところに、それができる環境が整った時に、ネガティブ人間のポテンシャルが開花したということです。

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