Cats of Mirkikitani 三力谷の猫 

Updated: Jun 11, 2019

アメリカで生まれた日系人のドキュメンタリー映画。19歳の時に第二次大戦が始まり、22歳から27歳の5年間、日系人の強制収容所に拘留された。アメリカ市民権を失い、老年になっても生活保護を受けられず路上生活をしていた。物乞いはせず、絵を描いてそれを街ゆく人に買ってもらい、僅かな収入で食べていた。ホームレスになっても老年になっても尊厳を失わなかった人。第二次対戦をアメリカで体験した日本人の話を私たちはほとんど知らない。また、一人暮らしの女性がホームレスのお爺さんを路上から救って同居させてくれる事など、普通は考えられない。そいういう意味で貴重なドキュメンタリー。老いても路上生活者になってもプライドをもって生きたミリキタニさんが最後に報われた事に、見る側も救いを感じました。孤高に生きたミリキタニさんに合掌です。

ジミー・ツトム・ミリキタニ 

三力谷 勉さんは1920年にカリフォルニア州サクラメントに生まれ、生後3ヶ月で日本に帰国し、母の故郷広島で18歳まで育ちました。軍国主義化する日本で兵学校に行くことを拒み、18歳の時にアメリカに戻り、絵の勉強を始めますが、第二次大戦が勃発し、22歳の時に日系人強制収用所に拘束されました。この間アメリカ市民権は放棄させられ、終戦から2年後に解放されましたが市民権を取り戻せず、そのため職に就く事もできず各地を放浪したのち、ニューヨークに流れ着きました。ここで仏教会の援助を受け料理人として働けるようになり、1950年代から80年代の30年ほど、東海岸を渡り歩きレストランで働きました。市民権は1959年に回復されていましたが、引っ越しを繰り返していたため、通知は届きませんでした。

1980年代に雇用主亡くなり、住む場所も失い路上生活が始まります。ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのワシントン・スクエア・パークです。ここでミリキタニさんは、ボールペンなどで絵を描いて売ります。よく描いたのは猫の絵です。彼の猫の絵を買ったことがあるリンダという女性が、2001年の9・11同時多発テロ事件直後、空に灰が飛び交う中まだ路上にいるミリキタニさんを見かねて、その後彼女のアパートに招き入れます。


ミリキタニさんと接しているうちに、彼の中に気高い精神を見たようで、彼の為に何とかしてあげたいという気持ちになり、彼の生い立ちから現在に至るまでの話を熱心に聞き、事実関係を確認しました。アメリカ生まれで市民権を放棄したままになっているのはおかしい。政府から生活保護を受ける権利があるはずと、生活保護局などの機関に問い合わせをし、大量の資料のやり取りの後、彼の市民権が回復していた事実を見つけ、生活保護の手続きをしてあげて、ミリキタニさんがアパートで生活できるようになるまで、あらゆる手続きをしてあげます。ミリキタニさんは何十年ぶりにアパート生活ができるようになり、猫を飼い始めます。更にリンダさんは、彼が生き別れとなった姉を見つけ出し、連絡が途絶えた親戚を見つけ出し、彼が育った広島をも一緒に訪れました。彼にとって70年ぶりの帰省です。カリフォルニアで収容されていたキャンプ跡にも一緒に訪れ、彼の生きた軌跡を一緒にたどるのです。


つつましくも身綺麗で普通の生活ができるようになったミリキタニさん。ホームレスの人を見て、ポケットの財布からお札を出して缶に入れてあげる時の、年齢の刻まれた手が印象的でした。その後、社会との交流の場もできて、いろんなイベントに招かれるようになり、アメリカの子供たちに墨絵を教えたりするようになりました。80歳代です。 このドキュメンタリー映画がリリースされたのは2007年。ミリキタニさんは5年後の92歳まで生きて、2012年にニューヨークの病院で亡くなったそうです。