愛の日記 byマドモアゼル愛 2015

Updated: Dec 5, 2019

無にしかない力

色々な方法でフリエネルギーを取り出すことができると思うが、フリーエネルギー―の根本原理を理解しているのは、やはり飯島先生だと思う。原理をちゃんとわかっていると、応用が効くようになる。多くの人が誤解しているのは、本当は、今でも、昔も、これからも、すべてはフリーエネルギーで動いていたということ。

ガソリンで動いているように見える車も、電気で動いているように見える電車も、食物のエネルギーで動いていると見える人間も、そうではなく、本当はフリーエネルギーによって動いているのだ。エンジンが動く根本の原理は圧の差によるもので、原理的には最初の爆発さえ人為的な方法によって動かせば、次の爆発からは圧の差がエネルギーを吸引して動くようになるという。

人間も一日の行動をエネルギー換算すると、数万カロリーに匹敵する運動をしているらしい。なのに、食べているのは、せいざい3000カロリー。人間も食べ物のエネルギーによって動いているのではないということになる。一見エネルギーの補給に見えるし、実際にそうなのだが、食べた後はなぜか疲れる。食べ過ぎると免疫が下がるのか、風邪などひきやすくなる。

エネルギーを突き詰めると、意識となる。意識からしかエネルギーは訪れない。意識が途絶えると気絶して倒れるから、確かにそうだともいえる。意識がおかしい人はどうしてもおかしなエネルギーを集めてしまう。おかしなエネルギーを集めるから、生き方も起こることもおかしくなっていく。要は意識がどちらに向くか、、、ということでもある。食べ物は物質。物質化したものは、すでに結果物なので、それ自体には力がない、、、とフリーエネルギー的には考える。物質でないものとのかかわりは、意識によってしかできない。意識がエネルギーをもたらすのだから、エネルギーは形のないものからしか訪れないことになるのだ。

あそこに行こう、、、と思わなければ、絶対誰もそこにはいかない。意識しか行動を生みださない。エネルギーも同じなのだ。意識が所属する世界は無の世界だ。エネルギーは無からしかやってこないのだ。人に本当のエネルギーを与えるのは、無しかない。意識しかない。おなかがすいているときに食べたトン汁の思いでは、トン汁そのものより、トン汁を作ってくれた、与えてくれた人に対する感謝なのだ。本当の栄養は意識にしかない。無で私たちは活かされているというのが、フリーエネルギー論の根本になくてはならないし、事実だと思っている。

エリートと言われる人は、そうしたことがよく理解できない。形あるものしかわからない。形ないものに真実の力があると知らないから、ずるいことも、悪いことも、保身のためならできてしまう。形にないものに本当の力があることを知っていたら、日頃の考え、日頃の意識を無視できなくなる。わかっていないから悪いことができるのだ。順番が間違っているのです。まず、あちらへの作用。その乗り物は意識でありときに感情です。


やさしい感情を抱くことで、あちらの扉を叩くことができたオルフェイス。冥界のプルトでさえ涙させた琴の名手。金積んでも、食事積んでも、あちらの扉は開けない。形ないものだけが通用する世界。

全てはプラスとマイナス そしてギャップの世界

空間からエネルギーが取り出せることは本当はかなり以前からわかっていました。二コラ・テスラはエジソンなど問題にしない大天才で、その秘密を知り、実証した人です。しかし、そうなるとエネルギー商売に支障が出るため、二コラ・テスラの研究の一切は破壊され、彼自身変人としてのレッテルを張られてその生涯を終えていきます。人間の強欲の犠牲者であり、その秘密は密かに一部の人の間で保持され、今なを兵器などの物騒な面で独占的に使われているのだと思います。

関係ないかもしれませんが、東京スカイツリーなどの形を見ると、何かテスラの実験塔に似ている形をしているので、イヤな感じが私などにはします。テスラが空間からエネルギーを取り込めたように、本物のエネルギーはすべて無からやってくるのです。

もう少し言うと、プラスとマイナスがギャップをつくると、宇宙というか無からそれを修整し、ギャップを埋め合わせて元に戻そうとする力がやってきます。だからギャップは自然に戻ったように見えるのですが、本当は戻す力が訪れたからギャップは埋め合わさるのです。その際に莫大なエネルギーが得られます。

男女が分かれてギャップを作り、その埋め合わせから赤ちゃんまでできるのも比喩であって、物理現象でもあるのでしょう。人間ができることは、安定してあるものに、ある作用を起こし、ギャップを作ることに他なりません。作用と反作用の関係です。作用があれば、その作用の特質にしたがって反作用が訪れます。やさしく愛のある作用を投げかければ、そのギャップを埋め合わせるために、それは素晴らしい力が無から訪れるのです。

チューナーがなぜ、人の意識に働きかけ、人の体や意識を変え得るのか。チューナーを叩いて発生した音が静けさの中にギャップをつくり出します。それを埋め合わせようとして、すなわち、音を消そうとして反作用が起こり、そのこと自体の中にエネルギーが取り込まれ、満ちた場となるのです。そのため、チューナー音を聴く周辺は満たされた場となっていき、エネルギーが満ちて、色々な良いことが起こり出すわけです。

私が開発したポンポンマッサージもまったく同じ原理です。考え得るもっとも少ない力で他人の頭をポンポン叩く、、、すると頭は反作用を起こすから頭がへこまないわけで、その際にエネルギーが満ちた場が頭皮周辺にできるわけです。そこが突破口となり、エネルギーは体に浸透を開始します。そしてうっとりし、気持ち良くなり、優しい気持ちになっていく。 ポンポンマッサージを体験された方は、まず例外なく、これまで体験したことのないような安心感を抱き、やさしく、叩いてくれた人に本心から感謝したくなるのです。こうした関係が毎夜あるとしたら、親子であれ夫婦であれ、恋人であれ、友人間であれ、満たされないはずがないと思われます。

あらゆる問題は、エネルギー不足から起きるのです。本当のエネルギーですが、それが不足してしまうのです。ポンポンマッサージやチューナーがギャップを作ることで、エネルギー場を作ることができる。すべてはプラスとマイナスという違ったものがギャップを作ってくれることで、私たちは宇宙というか無からエネルギーをもってくることになるわけです。

私たちが無のエネルギーを呼び込む方法は作用以外にないのです。作用を施す、、、そうすれば、宇宙はすべてを元に戻そうとして、そこにエネルギーが注がれます。しかもそのエネルギーには情報があります。私たちの体を作り、顔を作ったところのエネルギーが戻ってくる。情報を持ったエネルギーが無からやってくるわけです。情報は物質ではないので、無の世界にしか存在できないのです。ですからギャップを作って無の世界にアクセスすることが人間の仕事です。

顔や体が一人一人違うのは、作用の可能性がそれだけ広がるからです。私たちの生きる意味は、そうした個性に沿って、独自のことをやる以外にないのです。満員電車に乗せられ、コンビニで弁当を買い、同じような町に住み、同じような学校に通わされ、、、は、エネルギーを呼び込む際に非常に不利になります。大衆を支配したい人にとっては、それは必須なことになりますので、何億人でも一人の人間にしてしまえば、自由に扱えるわけです。

しかしそうなると個々でのエネルギー創造がどうしても弱くなりますから、魅力的なギャップが作れなくなり、新鮮なエネルギーを得ることができなくなる。どうしても時代は消沈していくことになります。それが現代の姿であり、海も山も人も消沈していますから、無理やりにでもかけ回す力が働いてしまう。それが多くの悲劇を生む本当の原因になっているのです。

誰でも、このエネルギーを得ているから本当は生きていられるのですが、そのことを過小評価しすぎるため、いつも枯渇した状態に追いやられてしまっているわけです。個々でエネルギー場を作る、、、その連合が段々と大きな場になり、大きなエネルギー場が地球を貫く形で、場と場をつなぎ、広げ、すべてが光っていくように新しい時代が始まります。

どうしても夜明け前はもっとも暗く、つい弱気になってしまいやすい私たちですが、ここは踏ん張り時です。ギャップは怖いものではなく、対立も怖いものではなかったということなのです。


健康法で不健康 ダイエットで太り気味

私は出生時の月が6室にあるためか、昔から大の健康法オタクでした。今でも関心はあるのですが、用心してトライする習慣になりました。数々の失敗を重ねてきたからで、すぐに健康法に飛びつくことはなくなりました。一度、あらゆる健康法を捨てたときがあるのですが、その時がもっとも体調が良かった、、、そんな気もします。

健康法もそうですが、ダイエットもこれと同じです。ダイエットしている、、、と聞くと、ああ、じゃあ太るな、、、と嫌味ではなしに思ってしまう自分がいる。昼食に簡単なサラダ程度で我慢しているOLを見ると、まず太っています。食への異様な我慢が爆発するのは確実で、昼にサラダで我慢したのだから、おやつにケーキくらい食べても、、、と、そんな流れになりがち。

何かが狂っているわけで、健康法もダイエットも大体はあまりよい影響を与えない場合が多くなります。

たったひとつの方法で目的を達成させる、、、ということは、どうしても信仰になりがちで、他のことに目が行かなくなる。たった一点のみに目が行くということは、意識がそこに集中するため、意識からしか現実はうまれませんので、太ってはダメ、、、すなわち、太ることへの恐怖意識に栄養を与えてしまうわけです。健康法も健康法を行えば行うほど、とくにひとつの健康法にこだわるほど、意識はそこに集中するため、自分が不健康になることへの、本当は意識集中となり、ダメになるわけです。自然である、、、ということはですから本当に偉大なことで、自然の中に自身をいかに置いておくことができるか、、、そこにダイエットも健康も幸福のカギも存在していることになります。

私の長年の知人に気功の達人の中国人がいて、健康面でのアドバイスを色々と長年してくれているのですが、その先生の言うことは、ほとんんど間違っておらず、一点に絞られるダイエットや健康法的な考えをされたことはありません。常に複合的でした。

先生は政党の色々な党首の健康管理も密かに行っている名医でもあるのですが、ちょうどセミナー開催中のMI池田山ハウスに来たことがあり、いいタイミングだと思って、先生に突然の講義をお願いしたら、快く引き受けてくれて、私はコーヒータイムを得ることができました。

そのあとのことです。そこに長年の糖尿病で苦しんでいる人がいて、先生はその人の体を見るなり、アドバイスを始めたのです。病歴を何も聞くことなく、糖尿病を当て、その人の食生活についてレクチャーを始めました。カロリー管理してる? うん?、、、そう、それで毎日、納豆、豆腐ね、、、と。驚いたのは当人。まさにそうだったらしいのです。ここで誤解されると困るのですが、一般的に豆腐や納豆の常食を先生はたしなめたわけではありません。

ただ一点質問させていただきます。ダイエットしていて豆腐、納豆を毎日のように食べている人がけっこういますが、その人にお伺いしたいのですが、下腹がダイエットしている割にでているとか、たるんでいるようなことはあるでしょうか。もし腹部にたるみや段々があったり、下腹が出ているような人がいて、毎日のように豆腐や納豆を食べていたとしたら、一度、数週間でもいいので、一回納豆と豆腐をやめてみてください。

そして、下腹のたるみなどが、回復にむかってすっきりしたとしたら、原因はそこにあった可能性があります。

先生はその人を見て、上記の指摘をしました。しかし、何度も言いますが、お豆腐や納豆が悪い、、というのではなく、悪く出る人がいる、、、と言いたいだけです。豆腐は健康食でもあるし、決して悪口を言っているのではありませんので、誤解はしないでください。風評になったらそれこそ、お豆腐を売っている人に申し訳がたちませんので、そこは誤解しないようお願いします。しかし、体を壊し、それ以降の豆腐や納豆の常食を、健康法として取り入れることに向いていない人がいる、、、ということなのです。

通常の場合で普通の人が夏の暑い日に冷奴を食べたり、食欲のない朝に納豆を食べるのは、もちろんまったく問題ないし、何の心配もいりません。ただ、一部にダメな人がいるということです。その場合は、ダイエットの割りに、痩せている割に下腹が出ているわけで、そういう人は、一度、試して欲しい、、、ということです。そしてその結果、下腹が引っ込むようになったなら、その人の場合は、大豆の消化に無理があったということになります。

ダイエットや健康法はかように難しい面があるのですが、さすが名医の先生は一目みただけで、その人の食生活の問題点をあげたわけです。逆に言うと、私たちの生半可な知識や体験で、健康法やダイエットなど、本当は考えない方がいいくらいだ、、、という考えが私にも起きたことも事実です。以来、慎重に体の声を聞きながら、大好きな健康法にトライし、その成果を見つつ、自分にあったものを探り出すことにしています。

飯島先生は、食べ物には何の力もない、、、具体的な形あるものには、何の力もない、、、毒はあるが、本当に毒になったりならなかったりする、、、体に良い食べ物も確かにあるが、それ自体に力は本当はない、、、とおっしゃる。力があるのは意識のみ。すべてを意識が作り出しているのですから、ダイエット法も健康法も、一定の条件付けでしかなく、その事を解って行うことで盲信はなくなり、効くようになったりします。

すべての事柄は意識次第ですが、では意識とは何か、、、まず、自身のメガネをはずすことから始める必要があるわけで、自分は何も知らない、、、自分には何の力もない、、、、すなわち、自分も皆も生かされているから、今ここにいる、、、、という意識からのスタート以外、人は間違った道に進んでしまうと思うのです。何も不安に思う必要などなかった、、、ということでもあります。生かされているのですから。

心を動かす微細なもの

60キロの人間一人を移動させるために鉄2トンの自動車を動かす、、、鉄2トンの塊は時速50キロをはるかに超えるスピードで狭い道を走る。狭い道には歩行者用のエリアのないものも多くあり、人は車を避けるように身を縮めて歩く。この光景ひとつ見ても、この文明が間違いであると感じる。

猛スピードで動く鉄2トンの車と、人間が同じ道にいる、、、こんなことがなぜ許されるのだろうか。お金だよ、、お金。安全な国土設計をするよりも、車を売る、、、自転車業界などはきっと、とてもいやな思いをこれまでにしてきたのではないか。自転車国道を5車線くらいで整備し、ゆっくり走る自転車も、猛スピードで移動する自転車も安全に走れるようにすれば、少なくとも鉄2トンと鉢合わせするような悲劇は起きなかったと思います。自転車を売るよりも、車を売る力がきっと勝ったのでしょう。政治力の違いでしょうか。

こうして、重大工業的なものが地球を席巻し、大きな重力や大きな発電や大規模なものを作りだす思考によって世の中を動かしてきました。大規模なものは世界の隅々にまで及び、食べるものの着るものも、暮らす街も、病院も、すべてが巨大化したシステムから生まれるもので覆われました。

全国の流通ルートに乗って配達される食べ物を食べ、縫い賃の安い労働力によって作られた服や、100円ショップの品で家は埋まる。どこに行っても同じやり方、同じ景色、同じ店、同じ病院、同じ食べ物、同じ音、、重大工業が生み出してくれたオートメとシステムに乗って、一見、豊かな物に囲まれた私たち。しかし、そこにあるものは、皆同じ顔、、同じ表情、、コンビニでおいしいモノを探しても、結局は工場で作られた大量生産の品の中から選ぶしかない。

コンビニに限らず、どこでもそう。皆同じ物、、、同じ表情。最近の子供たちは、もうお菓子になんか見向きもしません。大人も同じで、コンビニ弁当にもシステムで作られた食べ物物にも、もう誰も感動しなくなってきている。一瞬流行しても、結局はすぐにあきれる。

仕事も同じ。どこに行っても同じで、やりがいなど見つけることが無理。結局は上が売上と利益にしか関心がないのだから、極めてコンピュータ的な発想で部下やバイトを締め付ける。上も管理されているわけで、社長ですら管理されてる会社がほとんど。上も下もサラリーマン根性の時代になっている。サラリーマン根性が悪いとは言わないが、仕事も考えもオートメ化されていることは確かだと思う。

そして、そこに参加する全員が、本当はいやだと思っている。バイトはおろか、雇われ社長ですら、会社に本音では行きたくない。怖いから仕事はしてるが、本心ではそんなにはやりたくない、と。ブラック化する企業が多くなるが、その大本には、システムと重大化、流通化、合理化された考えが基本にある。現代システムを動かす動機は儲けだから、どうしてもワンパターン。心を動かす繊細なものに出会わなくなる。

しかし、人の心を動かすものは、微細なものの中にある。

微細なほど、本当はエネルギーがあるのです。意識からしか物ごとは生まれない、、、微細なものにしか、本当は力はないのです。大きな物を信じ、それに頼り、システムを偉大と思い、そのシステムに守られ、扱える人物を皆が求めた、、、大きなものは、個人にはないので、大きなものが偉大だと思えば、個人の力を弱く感じだす。

自分の弱さをどこか大きな安心できるシステムで補いたい、、、国家主義が生まれ、公務員信仰が生まれ、病んだら権威ある病院を探し、一流の医師を探し、安定的な投資を探し、、、勝ち組になったと思ったとたんに、薬の副作用で死んでしまう、、、、そんな人生いやだと、なぜか多くの人がそれでも思わない。不思議、、、重大化ではエネルギーが生まれないので、いつか行き着くところまで行ったら、消失することになる。微細なものしか力を生まないので、そうなります。重大化した権力も軍隊も時代も、わりとすぐに終えていく。

ナチス20年、平家20年。平家に非ずんば人に非ずも20年の命だったし、ナチス1000年王国の夢もわずか20年で灰塵に帰した。

微細なものへアクセスできないものは、すべて終えていく。だから、人間はセンスとして、体感として、微細なものに、本来はこだわります。私が開発したBBマッサージ、、、ポンポンマッサージ共に、微細な動きでなければ効かない。しかし、微細な動きを実行すれば、肌は引き締まり、顔は白くなり、腫れやつっぱりや痛みにもアクセスできる。

微細な動きがエネルギーを呼び寄せるからです。

人にとってもっとも微細なものは、思考と意識。その中に完全需要の静けさと意識があれば、そこは創造の道に。体を動かす前に意識を働かせる、、、、体は意識に沿って動いてくれる、、、よっこいしょ、、、と、体を動かす必要はなく、意識を動かせば、体は動いてくる。重大強権化の間違いがここにあります。

ここまで時代が行き詰った以上、次に来るものは、微細なもの、、、微細な働き、、、微細なるものに決まっています。それは、オートメ化では無理で、私たち自身の個性の中にこそあるものです。顔が全員違うのですから、人と自分を比べるのはまったく意味がない。人と自分を比べて自分には才能がない、、、という風な考えで落ち込む人が多いですが、それ自体が、重大強権化信仰そのものであり、重大強権化意識なのです。だから伸びなくなる。


自分の顔と体が1つだけのものである以上に、微細な意識は個人特有のものです。そこにしか力はありません。みんな凄いものを持っているのに、他の人と違う、、、なんて悩む意識が大間違いなので、おかしなことが起こるのです。意識がすべてを生み出すので、おかしな意識をしているとどうしてもおかしなことが起きてしまう。

それは仕方ないことなのです。微細なものを信用しない、、、微細な自分の声を信じないで、人や社会が言ってることを信じる、、、、しかし、それだと、これからはどんどんエネルギーを消耗していく流れとなります。